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頭の悪さだけが目立つ「産経新聞社説」-誰の立場から「恥ずかしい?」のか――役割を終えた当番弁護士運動に精神論をいう頓珍漢
産経新聞社説は、当番弁護士の登録率低下を捉えて、「司法担う使命感あるのか」などと書いている。
しかし、フジテレビも、BS4Kを「儲からない」という理由で止めるそうである。放送の公共性はいずこへ行ってしまったのだろうか。放送の公共性より結局金儲けではないか。恥ずかしい、というのと同じである。他人のことより、不祥事を起こしたフジサンケイグループの再建を優先されるべきであろう。
さて、産経新聞の頭の悪い社説は、制度の歴史も、財源の性質も、役割の変化も何も調べないまま感情論と精神論だけを振り回してしまった。実に頭の悪い社説である。控えめにいって落第である。
そもそも、当番弁護士制度とは何だったのか
当番弁護士制度は、国家が恒久的に設計した制度として始まったものではない。
弁護士会が、被疑者段階にも公費で弁護人を付けるべきだという、弁護士の社会運動として立ち上げたものである。当然、「社会運動」だったのであるから、弁護士全員が賛成していたわけでもない。
当時、国選弁護人は被告人段階にしか付かなかった。国選弁護といえば、「法廷弁護」だったのである。
したがって、当番弁護士運動の本来の目的は、「被疑者国選制度」の導入を目的としていた。
そして、その目的は達成された。したがって、本来は、私は、「当番弁護士制度」の廃止を議論することが望ましいと思われる。
被疑者国選制度は段階的に実現し、現在では勾留された全事件に国選弁護人が付されている。
つまり、当番弁護士運動は、本来の歴史的任務をすでに大筋で完遂し、役割を終えた運動なのである。
いま当番弁護士に独自の意味が残っているとすれば、
・逮捕から勾留請求・勾留決定までの四八時間ないし七二時間の空白部分
確かに、勾留阻止に動くのは重要なポイントであるが、基本的に、ここは「私選弁護制度」しかない。
したがって、ある意味では、贅沢品になるのである。国選制度がない部分を、役割を終えたはずの弁護士の「社会運動」に押し付けるというのは図々しい。
制度の本体は、とっくに被疑者国選へ移っている。
恥知らずの産経新聞社説は、当番弁護士、被疑者国選、被告人国選という三つの制度をろくに峻別できていない。落第答案そのものである。
「登録率が下がった」「使命感が足りない」「恥ずかしい数字だ」と書き立てているそうだが、持続可能性がない制度や会社は惜しまれつつもつぶれていくものである。先般、つぶれた名鉄百貨店も同じである。
役割を終えた運動が自然に縮小していく現象を見て、そこに道徳的非難を浴びせているのは実態を知らない莫迦だけである。問題の所在を把握していないに等しい。
財源の問題を押さえなければならない~一切の補助金・税金なし
当番弁護士制度は、公費で維持されている国家制度ではない。
中小企業診断士なども補助金ビジネスがあるのだから、弁護士もあるであろうと思っていたら大間違いである。
当番弁護士は、弁護士会の会費で賄っている。要するに、民間業者たる弁護士が、自分たちの金を持ち寄って、その金をまた自分たちに再配分して制度を回しているのである。私はこれを、蛸が蛸の足を食うようなものだと言ってきた。ただし、ここでいう蛸は国家機関ではない。民間業者としての蛸である。産経新聞に批判される筋合いは豪もない。
どんな遠方の警察署に派遣されても、対価はせいぜい九千円前後、しかも支払は半年後である。下請法もびっくりである。この制度に公費を一円も投じていない新聞社が、上から「恥ずかしい数字だ」「全弁護士に参加を課せ」と説教する。その聞き分けのない老人のような説教がどれくらいの若手弁護士に響くのであろうか。
産経新聞が自社の新聞を使命感で毎朝無料配布していないのと同じである。ホテルで読売新聞が無料で置かれていることはあるが、あれも誰かが金を払っている。世の中、ただで配れば質も下がるし、持続もしない。当たり前の話である。
刑事弁護のボランタリー化という構造問題
当番弁護士だけでなく、被疑者国選・被告人国選の制度設計そのものが、刑事弁護を低対価・半ボランティア化し、その結果として担い手不足と質の揺らぎを招いた面がある。適正な役務には適正対価が必要である。これは弁護士業界にも新聞業界にも共通する、つまらないほど当たり前の原則である。
ところが日本の刑事弁護は、「人権のためなのだから多少割に合わなくてもやれ」という空気の中で、制度的に安く使われる方向へ流れた。そうなれば、能力の高い弁護士ほど企業法務や経済事犯、あるいは私選中心の分野へ流れるのは当然である。一時期の刑事弁護の水準の低下や、一部の「無罪請負人」に人気が集中した現象も、この構造と無関係ではない。
高野隆先生らがアメリカ法や連邦最高裁の議論を持ち込み、日本の刑事弁護の位置づけを相対化し、検察・裁判所に意識改革を迫ってきたからこそ、ようやく少し持ち直した。放っておけば、刑事弁護は善意だけで品質が維持される仕事ではない。そのことを、産経新聞は少しも理解していない。
愛知県弁護士会でも、法テラスいいなり派と刑事弁護派の対立がある。
資力要件の歪みという問題
現行制度では、必要的弁護事件であれば実際上、富裕層にも国選弁護人が付くことがある。私が印象に残っているのは、「弁護士は無駄」と決めつけながら預金三千万円ほどある赤いフェラーリに乗っている二十代の者に国選が付いていた例である。確か罪状は、50キロのスピードオーバーだった。
率直にいって、フランツ・カフカの文学を読むくらいには不条理であろう。
一方で、当番弁護士は民間業者たる弁護士の会費で遠方警察署まで走らされる。富裕層は公費を濫用的に用いて国選で弁護人が付き、現場は持ち出しで回す。これで担い手が減れば「使命感が足りない」と言う。ずいぶん都合のよい精神論である。
初度接見の本来的位置づけ
最高裁は初度接見に特別な重要性を認め、アメリカ連邦最高裁もミランダ判決以来、弁護人へのアクセスを知識階級にとっても必需品であって贅沢品ではないと論じてきた。この法理は正しい。
しかし、法理として正しいことと、それをボランティアで維持すべきかどうかは、別の問題である。
率直にいえば、逮捕直後の接見が最も切実に必要とされる典型的な場面を考えてみよ。
・弁護士の友人を持つ社長が逮捕された。
・経営者が経済事件で身柄を拘束された。
―こういう場合、逮捕直後に弁護士が駆けつけることの意味は大きく、実際にそういう局面に備えた私選契約や顧問関係はすでに存在する。つまり、初度接見の価値が最も高い層は、もともと私費で対応できる層なのである。
他方、当番弁護士として実際に接見に行く事案の多くは、生活保護受給者の万引き、軽微な傷害、依存症がらみの再犯といった類型である。
もちろんこれらの事件でも、身体拘束の適法性を確認し、黙秘権を告知し、違法な取調べを防ぐことには意味がある。
しかし、早期に勾留阻止に費用をかけてまで弁護人に動くことを望む人は多くないように思われる。
これらの事件において初度接見の価値が最も発揮される「複雑な否認事件での防御方針の早期確定」という場面は、それほど多くはない。
むしろ、行政福祉との接続、家族への連絡、生活上の心配事への対応が中心になることも少なくない。
前者は弁護士の職責の核心だが、後者は必ずしも弁護士でなければならない領域ではない。「パンツを買って差し入れてほしい」と言われることもある。
もちろんパンツがない本人(警察の留置施設にも用意はあるがそれははきたくないということ。しかも費用は出せないというレベル)には切実だろうが、それはもはや刑事訴訟法上の防御活動というより生活支援の話である。
要するに、逮捕直後の初度接見は、制度として設計するとすれば、本来は「弁護士に依頼できる資力のある者が私費でアクセスするもの」として出発した概念であり、それを全被疑者に対してめぐまれない人を対象とする無償・ボランティアで提供することを当然視する発想自体に、根本的な無理がある。
当番弁護士運動が始まった当初、その問題意識の核心は「勾留後の被疑者国選がない」という制度的空白の告発にあった。逮捕直後の七二時間を埋めることは、その運動の本筋というより副産物に近く、私は、必要な人だけ有料で依頼すれば良いと考える。
にもかかわらず、被疑者国選の実現後もなお、逮捕直後の接見をボランティアで維持することを当然視し、担い手が減れば「使命感がない」と叱る。手段が目的化し、運動の歴史的文脈が失われたまま運動の残滓を産経新聞がなじられるくらいであれば、潔く廃止せよと申し上げておきたい。運動は終わりである。
制度提言――三つの柱
以上の議論を踏まえて、制度設計の具体論を述べる。
第一に、国選弁護の資力要件を実質的に再設計すべきである。年収六百万円以上、あるいはそれに相当する資産を有する者については、国選の対象から全て外す。当番弁護士に代えて、当番の有料法律相談弁護士派遣制度を設置すれば足りる。
年収600万円以上の層については二つの経路を整備すれば足りる。一つは、交通事故における弁護士費用特約と同様の、刑事事件対応型の保険特約を損害保険会社に引き受けさせる仕組みである。逮捕・起訴という偶然性の高いリスクに備えた保険商品は技術的に設計可能であり、市場に委ねる余地がある。
もう一つは、自由診療型の私選弁護である。資力のある者が損害保険にも入らないのであれば、後は、適正な対価を払って質の高い弁護人を選ぶ。これは本来あるべき姿であり、そこに公費を投入する理由はない。
国選は年収六百万円未満の者に限定する。この程度の線引きは制度の合理的再編として十分に正当化できる。現在は、なにからなにまで国選でやりすぎ、弁護士の中にも不公平感が蔓延しているように思う。
第二に、当番弁護士については、歴史的役割を果たした運動として縮小・再編を正面から議論すべきである。逮捕直後七二時間の空白を公的に埋める必要があるなら、それはボランティアではなく公費負担の制度として設計し直すか、一部有料化・私選紹介制度へ移行させるかのいずれかである。少なくとも、民間の持ち出しによる自発的運動を惰性で続けさせ、縮小すれば道徳的非難を浴びせるという現状は、制度として最も不誠実な姿である。
第三に、若手弁護士が参加できる基盤を残すのであれば、精神論ではなく負担軽減で対応すべきである。
電話接見、ウェブ接見、弁護士会・警察署・法テラスを中継点にしたウェイポイント接見を認めることが先決である。アメリカのテレビドラマですら電話くらいしている。それすら認めず長距離移動と長時間拘束を当然視しておいて「登録しないとは何事か」と怒るのは、「人質司法」の発想と地続きである。韓国やアメリカには被疑者保釈制度がありその導入が急務である。なぜなら、国選登録が少ないのは、「日本が人質司法だから」でもある。日本のように二十日間も予定を縛られる構造では、弁護士が二十日間も予定を空けておかなければならないことを意味する。それでは、刑事から遠ざかるのは必然である。「人質司法」は被疑者を苦しめるだけでなく、弁護士を刑事弁護から遠ざけてもいる。
結論
産経新聞社説は、当番弁護士制度の歴史的役割がすでに変質していることを見ず、被疑者国選・被告人国選との制度的区別も曖昧なまま、システムの問題として制度構築論として論じず、刑事弁護の低対価・半ボランティア化が招いた質の低下という構造的問題も直視せず、富裕層まで国選に流し込む制度の歪みも論じない。見えているのは、ブラック企業がよく多用する「使命感」という便利な言葉だけである。
ボランティアとは、自主的にやるからボランティアなのである。役割を終えた社会運動に向かって「もっと恥を知れ」と怒鳴るのは、強制労働の強要であり、議論として幼い。
ノーワーク・ノーペイとはよくいったが、「ノーペイ・ノーベネフィット」でもある。空前の人不足の中、弁護士を対価なしのエッセンシャルワーカーとして使い倒す現在の設計は改めた方がよい。刑事裁判官は令状などの電子化が進んだ。しかし、弁護士は電子接見は導入されず、どんどん弁護人がいなくなる北海道だけ救済的導入を図るが、こういう弥縫策は実に卑劣である。
産経新聞が自社の記事を無料配布しないのと同じ理屈が、刑事弁護にも成り立つ。制度として維持したいなら、制度として対価を払う。それだけの話である。
産経新聞よ。当番弁護士制度は国家の恒久制度ではなく、民間業者たる弁護士が自腹で支えてきた社会運動であり、その中心目的はすでに達成された。カネも出さず、制度も理解せず、構造も論じず、ただ「使命感」とだけ言うのであれば、恥ずかしいのは登録率ではない。その社説の知的水準の劣化の方である。控えめにいって、撤回された方がよい。
最後に附言すると、最近の若手弁護士は、無償の仕事なら、ケースを選びたいという傾向がある。例えば、ベンチャーの育成とか、そうしたものは無償でもいいが、イノセント・プロジェクトに興味はないという弁護士も多い。確かに、無償の仕事であれば、どのボランティアをやるかは弁護士の自由であろう。
参考:産経新聞社説2027年3月26日
<主張>当番弁護士の減少 司法担う使命感あるのか
日本弁護士連合会によると、令和7年に当番制度に登録した弁護士は全国で約1万4千人で6年より800人以上減った。
容疑者にとっては、逮捕直後に法的助言を得られる貴重な機会だ。意に沿わない供述調書を取られることを防ぐなど、当番制度は冤罪防止につながるものとして評価されてきた。
登録率低下には、接見までの待機や移動時間の長さ、当番弁護士からそのまま受任することの多い国選弁護人の報酬の低さが指摘されている。刑事事件を「割に合わない」と避ける傾向もあると聞く。それで良いと思っているのか。
弁護士には、人権を守り、社会正義を実現するという使命がある。当番制度は弁護士以外のだれにも代わることができない役割だ。弁護士への指導監督を唯一行うことができる日本弁護士連合会と各都道府県の弁護士会は、強い危機感のもと全弁護士に参加や貢献を課す制度設計を進めていく必要がある。
当番制度は平成2年に大分などの弁護士会で始まり、全国に広がった。刑事事件では、逮捕から勾留の可否が決まるまでの最長72時間は国選弁護制度の対象外となる。当番制度はこの期間を埋めるため設けられた。
各弁護士会が費用を負担し、登録している弁護士の中から毎日の割り当てを決める。出動の手当は1万~2万円ほどだ。
負担を軽減する施策も必要である。留置施設のある警察署が弁護士会の所在地から遠く、車による往復で8時間以上かかる北海道の例などもある。
登録率の低さは大都市部で顕著だ。最も登録割合が低かったのは、第二東京弁護士会の9・2%で全国で唯一、1割を切った。第一東京弁護士会は13・0%、大阪は21・9%だった。対照的に福井や愛媛、福島では8割を超えている。事件数の違いなど、都市部と地方で異なる事情があるだろうが、大変恥ずかしい数字である。



